既存の翻訳(人の手による訳) · 訳 丸山英観 (†1956) · 出典: 青空文庫 Aozora Bunko · パブリックドメイン
『そんなら、それは屹度一番に違ひありません』と愛ちやん。
王樣は眞蒼になつて、急いで其の備忘録を閉ぢ、『判决は』と陪審官に申されました、低い顫へ聲で。
『まだ/\もつと多くの證據が御座います、陛下よ』と云つて白兎は、遽に跳び上り、『此の文書は只今拾ひましたのです』
『何が其中に書いてあるか?』と女王樣が申されました。
『私は未だそれを開きません』と云つて白兎は、『だが、それは手紙のやうです、囚人の手になつた、――何者かに宛てた』
『それに違ひない』と王樣が申されました、『名宛が書いてないとすれば、屹度』
『誰にとも指定してないのか?』と陪審官の一人。
『全く指定してありません』と云つて白兎は、『實際、表面には何にも書いてありません』それから其の文書を開いて、『全く手紙ではありません、それは歌の一節です』
『それが囚人の筆蹟なのか?』とモ一人の陪審官が訊ねました。
『否え、然うではありません』と云つて白兎は、『實に不思議だ』(陪審官は皆な途方に暮れて了ひました)
『誰か他の者の僞筆に相違ない』と王樣が申されました。(陪審官は殘らず目を※りました)
『願くは陛下よ』と云つて軍人は、『私が書いたのでは御座いません、その證據には、終ひに名も何も書いて御座いません』
『若しも汝がそれに署名しなかつたとすれば』と云つて王樣は、『尚々惡い、汝の惡戯に相違ない、さもなければ正直に署名して置くべき筈だ』
爰に於いてか滿座悉く拍手喝釆しました、それは眞に王樣が其日に仰せられた中の最も巧みなるお言葉でした。
『それが何より罪のある證據だ、云ふ迄もなく』と女王樣が申されました、『關はない、刎ねろ――』
『そんなものは證據にはなりません!』と愛ちやんが云ひました。『何だか譯が解らないのですもの!』
『それを讀め』と王樣が申されました。
白兎は眼鏡をかけ、『何處から初めて宜しいのですか?陛下よ』とお訊ね申し上げました。
『初めから始めて』と王樣は嚴格に、『それから、ずつと終ひまで、濟んだから止め』
法廷は水を打てる如く靜かになりました、乃で白兎が次の歌を讀み出しました、
『何時か彼處へ行つた時、
私の事ども話したと、
見事な手紙を寄越したが、
泳げないとの辯疏で。
私の行けぬと云つたのが、
(何より嘘ではない證據)
それをも責めよと云ふのなら、
一體お前は何うする氣?
一個遣つたに、又二つ、
三つ四つ慾には限りなく、
殘らずお前の懷ろへ、
以前は私のものだけど。
斯うして二人が共々に、
若しや連累されたとて、
お前がついてれや大丈夫、
何時かは疑ひ睛れるだらう。
私もお前と同じこと、
(フイと恁※氣になつたのも)
唯タ一つの邪魔者が、
中間へ入つてした所業。
親しいからとて油斷すな、
何時になつても變りなく、
他人に隱した此の秘密、
『お前と私の間だけ』
『それこそ大事な證據の一つである』と王樣は揉手をしながら、『さらば陪審官に――』
『若し誰でも其の説明の出來たものに』と愛ちやんが云ひました、(此所少時の間に大變大きくなつたので、誰れ憚る所もなく大膽に喙を容れて)、私は十錢與げてよ。私はそれに些とも意味があるとは信じないわ』
陪審官は殘らずその石盤に、『娘はそれに些とも意味があるとは信じない』と書きつけました、併し誰れ一人として其の文書を説明しやうとはしませんでした。
『若しそれに何の意味も無いとすれば』と云つて王樣は、『それは面倒くさくなくて可い、何事かを知らうとしないで濟むから。『どうも解らん』と續けて、其の膝の上に歌を展げ、片眼で見ながら、『併し何か其れには意味があるやうに思はれる。「――泳げないとの辯疏で――」其方には泳げぬか、え?』云つて軍人の方を御覽になりました。
軍人は悲しげに其の頭を振つて、『私はそれが好きのやうに見えますか?』と云ひました。『骨牌が何うして泳げるものですか)
『宜しい、それなら』と云つて王樣は、頻りに口の中で其の歌を繰返して居られました、「何より嘘ではない證據――」それは勿論陪審官で――「それをも責めよと云ふのなら」――それは女王に違ひない「一體お前は何うする氣?」――何うする、眞個に!――「一つ遣つたに、又二つ――」さて、それは屹度涙ながらに遣つたに違ひない、どうだ――』
『未だ先に、「殘らずお前の懷ろへ」と云ふのがあつてよ』と愛ちやんが云ひました。
『それ、其處に!』と云つて王樣は、洋卓の上の栗饅頭を指しながら、得意げに申されました。『何と此程見事な物があらうぞや。それから又――「フイと恁※氣になつたのも――」そんな氣になる筈はないが、え、なつたのではなからうが?』と女王樣は申されました。
『决して、なつたことはない』と云つて女王樣は亂暴にも、蜥蜴を目がけてインキ壺を投げつけられました。(不幸なる小さな甚公は、何にも痕跡の殘らぬのを知つて、一本指で石盤へ書くことを止めました、ところで、その顏からインキの垂れてるのを幸ひ、今度は一生懸命にインキを用ゐて再び書き初めました)
『どうだ、何とも言葉が出ないだらう』と云つて王樣は、微笑みながら法廷を見廻されました。法廷は森としました。
『さァ、どうだ』と又云ひ足して、『判决は』
『まだ、/\!』と女王樣が申されました。『宣告が前で、――判决はそれから後のことだ』
『何ですッて!』と愛ちやんは聲高に云つて、『最初宣告をするッて!』
『默れ!』と眞赤になつて女王樣が申されました。
『默りません』と愛ちやん。
『頭を刎ねるぞ!』と女王樣が聲のあらん限り叫ばれました。誰れ一人として縮み上らぬものはありませんでした。
『誰れがお前の云ふことなぞを聞くものか?』と云つて愛ちやんは、(此時までに大きくなれるだけ充分大きくなつてゐました)『お前は骨牌の一組に過ぎないではないか!』
此の時、全くその一組が空中に舞ひ上り、それから復た愛ちやんの上に飛び降りて來ました。愛ちやんは驚きの餘り、怒り叫び、其等を拂ひ除けやうとして、身は堤の上に、※さんの膝を枕に臥て居たのに氣がつきました、※さんは靜に、顏に散り來る木の葉を拂つて居りました。
『お起きよ、愛ちやん!』と※さんが云ひました。『まッ、大變長く眠つて居たのね!』
『然う、私、恁※奇妙な夢を見てよ!』と云つて愛ちやんは、※さんに憶えて居たゞけを悉皆話しました。それは皆さんが是迄讀んで來た所の、種々不思議な冐險談でした。愛ちやんが語り終へた時に、※さんは頬摺しながら、『まァ、眞個に奇態な夢だこと、さァ、お茶を飮みに行きませうね、もう遲いから、乃で愛ちやんは、起き上るや否や駈け出しました、駈ける間も、熟々奇妙な夢であつたことを考へながら。
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然し其の※さんは愛ちやんが行つて了つても、頬杖ついて沈みゆく夕日を見ながら、可愛い愛ちやんの事から、又その種々不思議な冐險談を考へながら、やがて又※さんも其れに似たやうな夢を見初めました、その夢は、――
最初、※さんは可愛い愛ちやんの夢を見、それから又其の膝に抱きついた小さな手やら、その清しい可愛い眼が自分の眼を見つめてゐるのを夢に見ました――物言ふ聲も聞えました、又その眼の中に入りさうな後れ毛を拂ひ除けやうとして其の頭を振つてる所を見ました――それから又一心に何か聽いてるやうにも見えました、※さんの周圍には殘らず其の妹の夢に見たやうな奇妙な動物が生きて居ました。
長い草が白兎の駈け過ぎた時に其足にサラ/\と鳴りました――鼠は驚いて傍なる池の中へ逃げ込み、水煙を立てました――※さんは三月兎と其の友達とが何時になつても盡きない麺麭を分配した時に、茶碗の鳴るのを聞き、女王樣が其の不幸な賓客を死刑にせよと命ぜられる金切聲も聞えました――も一度豚の仔が公爵夫人の膝に居て嚏をし、其の間、皿小鉢が其の周りに碎けました――再びグリフォンの叫び聲、蜥蜴の鉛筆を軋らす音、壓潰されて窒息した豚、不幸な海龜の絶えざる歔欷とがゴタ/\に其處いらの空中に浮んで見えました。
乃で※さんは目を瞑つて坐りました、而して些や不思議な世界のあることを信じました、ところで、再び眼を開けば、總てが塵の浮世に變るに相違ないとは知りつゝも――草は只風にサラ/\と鳴り、池は葦の戰ぎに美しい小波が立ちました――ガラ/\鳴る茶碗はチリン/\と響く鈴に、女王樣の金切聲は牧童の聲と變じました――而して赤兒の嚏、グリフォンの鋭い聲、其他不思議な聲々は、喧しき田畑の人聲と(愛ちやんの知つてる)變じました、――遠方に聞ゆる家畜の唸り聲は、海龜の重々しき歔欷であつたのです。
最後に※さんは、これが全く妹の見た夢に同じだと云ふことを思ひ、自分が大人になつた時(斯※無邪氣な心の少しでも殘つて居たいものだと願ひました。而うして他の小さな子供等を集めて、これらの不思議な世界の夢の面白い話しをしたなら、自分の過ぎ來し夏の日の想出の如何ばかり、多くの子供を喜ばすことだらうかと思ひ、一方ならず愉快を感じました。
愛ちやんの夢物語 終